【中・高】高校錬成会

【中・高】高校錬成会

6月9日、高校三学年の錬成会が開かれました。指導者は、助産師の阿部智子先生(高1)、CNDアジアの風(体験学習)のコーディネーター品田典子先生(高2)、そして内観の藤原直達神父様(高3)でした。生徒の感想文の一部をお目にかけます。

【高1 「生かされている私に気付こう」】
しおりの最初にあったクイズで、私は全問正解することができました。しかし、今日のお話では、知識より大切なことを学ぶことができた気がします。命はつながっているということ。短い命が続けて別々の存在として起こるのではなく、重なっていくというイメージが私の中に浮かびました。

すごく辛いことがあった時に、「私はなんで生まれて来ちゃったんだろう」と考えたことがあります。「生まれて来なければ、こんなに辛い思いはしなかったかもしれないのに」と。でも、それは違っていて、生まれて来られたからこそ、その感情を感じることができて、私が私であるからこそ、そういう体験をしたんだ、と思うことができました。

自分はこの世界に誕生してみてすごくよかったと思います。中学3年の夏、勉強に追われ、辛かった時期に、自分で自分を痛めつけ、傷を負わせた時がありました。その時に私は両親から、「辛いのは分かるが、自分のことを大切にしなさい。今までお前を大きな怪我に合わせないように守ってきたのだから。自分で自分に怪我を負わせるようなことはするもんじゃない」と言われました。その言葉にで、自分は自分だけ、ただ一人の存在ではないと感じました。そして、本当に大切に育ててくれたということが、今よく分かり、感謝の気持ちでいっぱいです。

助産師さんは、命を身近に感じている仕事だし思うし、母乳の話の時に思ったことは、子どもを産む人にとって助産師さんというのはすごく大きな存在だということだった。その泣いているお母さんにとって、阿部さんの一声はすごく大きいんだと思った。自分のお母さんも、そんなふうに悩みながら私を産んで育ててくれたのだと思ったら、普段口答えばかりしてしまっている自分がすごく申し訳なく思った。お母さんにとって、自分を産んだことは、人生の中で一番位に大変だったと思うし、たくさん悩んだと思うけれど、生まれて来られてよかったということを、阿部さんの話を聞いて改めて考えされられた。

【高2 「命を繋ぐ―出会うということ―」】
タイのスライドでは、本当に一人ひとりの目がキラキラしていて、電気やガスがなくても楽しそうでした。日本はとても便利な物が多くて豊かですが、孤独な人も多いと思います。なので、便利すぎるのもよくないと思ったし、「人との出会い」は本当に大切なんだと思いました。

品田先生のお話の中でまず心に残ったことは、「貧しい人を助けること」=「寄付」ではないということです。そのことに着目して、マイクロ・クレジットという無担保小額融資システムを導入してノーベル賞を取ったムハマド・ユヌスさんはすごいと思いました。

グループごとの話し合いでは、他のクラスの子と全然仲が良くない私にとっては本当にやりたくないものでした。しかし、いざ始まってみると、とても楽しく色々な人とかかわることができ、よかったです。話し合った内容のように、私もよく本当の友達ってなんだろうってすごく不安になります。そんな時、友達がかけてくれる何気ない一言ですごく元気づけられることがあります。だからわざわざ上手いこと言わなくてもいいのかなと思いました。思ったことをそのまま言った方が、ちゃんと思いが伝わると思うし。これからもっともっと色々な人と接して、色々な価値観を感じられたらいいなと思いました。

【高3 内観の実習から得たもの】
今まで自分は「外観」ばかりしていたのだなあ、と実感しました。また、自分を見つめるのが、こんなにも大事なことだと、今まで気づきませんでした。「自分が変われば他人も変わる」という言葉がとても印象的でした。

毎日の生活に追われ、なかなかこのような「自分を見つめ直す」という体験がなく、非常に貴重な時間であった。特に、日頃仕事で忙しい母との関係について幼少期から今までを振り返ることで、してもらったことは数え切れないほどたくさんあるのに、自分がお返しをしたことというのは全くといっていいほど思い出せず、感謝の意を日頃持っているつもりでも形として行動に表して相手に示すことがまだまだできていないと気付かされた。

色々なことに気付いた。お母さんという存在を今までバカにしていた、というか、「いて当然」と考えていた。でも最近そのことに気付いて、今日、改めて気付くことができて本当に良かった。今まで本当に色々私や家族のためにしてくれた母が大好きになった。ときどきうるさいなと思ってしまうけど、それも「自分のことを思って言ってくれているんだ」と思うようにして、いつも「有難う」なんて言えないから、言えるようになりたい。

私はいつも頭で考えてばかりいるのですが、「腹で考える」ということに衝撃を受けました。モーツァルトや結晶の話を聞いて、「音」がとても神秘的なものであり、それの良し悪しによって左右されてしまう私たちもまた、単純で不思議なものだなあと思いました。